じーえふメモ

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23歳美少女の皮を被ったオタクが更新しています

日記[1]───果たして私はクリエイターなのか?

 

夏だ。

 

別に暇という訳ではないが、夜の空に火薬をブチ撒ける花火だとか、女性がその肌を露わにして男性を惹きつける海だとか、そういったイベントに足を運ぶことが無い分、人より多少時間はある方だと言えるだろう。元々文章力を買われてバーチャルYouTuberの世界に深く関わるようになったという手前、たまにはこうして文字を並べることも"すべき活動"の一端ではないかと思い立ち、空いた時間でこうして日記を書いている次第である。

 

8月に入ってから最も印象に残っていることといえば間違いなくVRアイドル「えのぐ」のライブビューイングだが、それは日記という形ではなく、おいおいまとめて語ることにする。というより、以前彼女達(正確には彼女達と一匹)についてブログを書いていたのは「布教」の為であって、今現在順調に注目されつつある「えのぐ」について自分がこれ以上大声を出す必要性をあまり感じなくなってしまった。彼女達は真摯に活動して、真摯なファンが集まっている。例えばブログなんかはもう私が書かなくても、私よりずっと情熱なファンが、私よりずっと気持ちを込めた文章を書いているはずだ。「他に誰かがやってくれる」と感じた瞬間その物事から意欲を無くすのは一生治らない性分なのかもしれない。

 

さて今日空いた時間にしていたことといえば、「キングダムハーツⅢ」の情報を漁ることであった。

 

https://youtu.be/oFKlDX4vzz8

 

キングダムハーツシリーズは、スクウェアエニックスとディズニーのコラボによって誕生したゲームである。私は同シリーズの「キングダムハーツⅡ」からプレイしている口だが、未だに私が人生で最も「面白い」と感じたゲームだと断言できる。

 

2019年1月に発売されることが決定したキングダムハーツⅢだが、何故私が今さらゲームの話を日記として書いているかというと、同作品のトレイラーを視聴するにあたって「視点の変化」に気がついたからである。

 

f:id:grapefruituhr:20180813180212j:image

 

ことバーチャルYouTuberの世界に携わるようになってから、「動画」を見る時の視点がまるっきり変わってしまった。いや、視点が変わったというよりは「増えた」というべきかもしれない。とにかく、ゲームクリエイター達が生み出す作品の「凄さ」がひたすら襲いかかってくるようになった。

 

モデリングやUnityをほんの少しでもかじると同じ感覚に陥ると思うのだが、例えばムービーひとつ取ってみても「どうやってアクセサリーが服にめりこまないのか」だとか「そもそもどうやってアニメーションをつけているのか」だとか、元々「わからない」という意識がなかったものがそこにあることに気づかされてしまった。

 

加えてそれらを彩る鮮やかな音楽、カメラワーク、練り込まれたストーリーにゲームシステム。これを言ったらダメなのかもしれないが自分のやっていることがおままごとに思えてきてしまう。彼らは開発に金がかけられるからとか、そういうお話ではない。例え100000000億円積まれても私ではあのクオリティのほんの一部も再現できないだろう。「技術」や「センス」とはそういうものだ。身につけるために必要なのは金ではなく(金も重要だが)、時間と意欲なのだ。

もちろん「キングダムハーツⅢ」というゲームが一人の手によって作られているわけではない。何人もの、様々な分野のプロが寄り集まって構築されている。だからこそ、このゲームのトレイラーを「今」じっくりと眺めてみるだけで、圧倒されてしまう。どこをとってみてもプロ達の「わけのわからない」技術が見えて困惑する。

 

ここまで書いたことは今まで自分の視点では見えていなかっただけで、「当たり前のこと」である。ただ、それに気づいてしまった瞬間から、プロへのリスペクトと同時に自分に対する劣等感が生じてしまう。果たして私は「クリエイター」と名乗れるほどの人間なのだろうか?

 

私は今年の10月で23歳になる。「もう23歳」なのか、「まだ23歳」なのか。もし、私が「若い」というアドバンテージを失ってしまったら。そう考えただけで背筋がゾッとする。

 

無論、私にも今「作っているもの」はある。それが多少なりとも誰かに影響を与える自信も、ある。

 

しかしそれで食っていけるとは到底思っていない。

 

「クリエイターは自信を持とう」だとか、「技術にはちゃんと対価を払わせよう」だとか、そういった声は最近妙に増えてきた。なんなら怒り気味に叫んでいる人もいる。確かに「搾取」を避ける為には必要な意識なのかもしれないが、「自分の技術レベルを高く見積もりすぎてしまう」のは、私にとってかなりの恐怖だ。そこもわかってほしいと、常々思う。プロの作品を見て、日々尋常ならざる悔しさを覚えているのだから。

 

冒頭のブログのくだりにも書いた通り、私は「誰かがすでにやっていること」「やってくれること」───つまり、「誰かと同じ土俵」で競うことがあまり好きではない。ずっとその土俵で勝負し続けても、いつか勝てるというビジョンが全く浮かんでこないからだ。情けない話だが。そもそも勝ち負けの話に持ち込んでしまってるあたり実に浅ましい。死にたくなる。

 

だから、「新しい土俵」を作って、提示することが、最近の目標である。この行為が「クリエイター」の活動としてカウントされれば良いのだが。

 

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